epilogue 〜 prologue・・・

前がきのない本はない
   

親愛なる子どもたちと  子どもでない人たちに

〜本文前略〜
「それ以来五十年以上たった」と、暦はそっけなく説明する。暦は、歴史と言う事務所の高齢のはげ頭の記録係りで、時間の計算を検査し、インキとものさしをもち、うるう年は青く、世紀の初めは赤く、アンダーラインする。「いや!」と思い出は叫び、巻き毛をゆする。「それはきのうのことだった!」そして微笑しながら小声でつけ加える。「そうでなくても、せいぜいおとといのことだった。」どちらがまちがっているだろう?
双方とも正しい。二通りの時間があるのだ。一つの時間はものさしで、コンパスで、六文儀で計ることができる。道路や地所を計るように。〜だが、われわれの思い出は、べつな時間の計算であって、メートルや月、十年の単位やヘクタールとは何の関係もない。忘れてしまったことは古く、忘れられないことはきのうあつたことだ。ものさしは時計ではなくて、価値である。そして、いちばん価値のあることは、楽しいにせよ、悲しいにせよ、幼年時代である。忘れられないを忘れるな!この忠告は、いくら早く与えても早すぎることはない、とわたしは思う。

                                                〜後略〜

「わたしが子どもだったころ」 エーリヒ・ケストナー (高橋健二訳)
 岩波書店 ケストナー少年文学全集7



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